ARTIST & CULTURAL PRODUCER 小倉 悠吾
京都の唄を紡ぐ人。
そして、音楽の生態系を育むシーンの設計者。
表現者と企画者の二つの顔を持ち、
故郷・京都の音楽文化に新たな物語を織りなす。
ARTIST & CULTURAL PRODUCER 小倉 悠吾
京都の唄を紡ぐ人。
そして、音楽の生態系を育むシーンの設計者。
表現者と企画者の二つの顔を持ち、
故郷・京都の音楽文化に新たな物語を織りなす。
ARTIST & CULTURAL PRODUCER 小倉 悠吾
京都の唄を紡ぐ人。
そして、音楽の生態系を育むシーンの設計者。
表現者と企画者の二つの顔を持ち、
故郷・京都の音楽文化に新たな物語を織りなす。

MESSAGE

いつも応援してくれるあなたへ
僕の歌が、あなたの日常の片隅で、ふと心を軽くするような存在であれたら。
嬉しい時も、辛い時も、僕の音楽がすぐそばにありますように。
ステージの上から見える皆さんの笑顔が、僕にとって何よりの原動力です。
これからも一緒に、最高の景色を見に行きましょう。

– 小倉 悠吾 –

THE STORY OF YUGO OGURA
アーティスト、そしてシーンの設計者としての軌跡

第一部:表現者としての道

YUGO story
ルーツ:きもの屋の息子とロック

1982年、京都のきもの屋に生を受けた小倉悠吾。彼の音楽的探求は、CHAGE & ASKAに憧れボーカリストを志した少年時代に始まる。中学でギターを手にすると、Mr. BIGやイングヴェイ・マルムスティーンといったテクニカルなハードロックに傾倒。ギタリストとしての確かな技術は、この時期に培われた。

キャリアの転換点は高校3年の夏。名門バークリー音楽学院の短期講習に参加しながらも、「ロックは学校で学ぶ物ではない」という確信に至り、日本で独自の道を歩むことを決意する。確立されたシステムに従うのではなく、自らのコミュニティで、実践を通じてゼロから何かを築き上げることへの強い信念。彼のキャリアを貫くDIY精神の原型は、この早期の決断にこそ見出すことができる。

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THE OPENING CLOUD:成功、挫折、そして次なる礎

2003年結成のバンド「THE OPENING CLOUD」で、彼は本格的な音楽活動を開始する。京都会館でのバンドコンテスト優勝、ストリートライブでのCD1,500枚手売り、そしてメジャーデビュー。順風満帆に見えたその裏で、デビュー直後のメンバー脱退という困難が彼を襲う。バンドは活動停止を余儀なくされた。

しかし、彼はこの危機を単なる停滞にしなかった。主要な表現の場が揺らいだ翌2009年、彼は自ら企画するイベント「新旬ロック」を立ち上げる。それは、逆境に対する直接的かつ戦略的な応答であり、彼が単なるアーティストから、シーンを支えるプロデューサーへと進化を遂げた瞬間でもあった。バンドは2013年に解散するが、そこで得た経験と教訓は、ソロアーティストとしての彼の血肉となり、企画者としての彼の礎となった。

YUGO story
ソロとしての深化:うたうたい、小倉悠吾へ

2014年、弾き語りを中心としたソロ活動を本格化。「京の旅人」オーディションでのグランプリ受賞は、その転身の正当性を即座に証明した。ばんばひろふみ、イルカといった重鎮との共演、楽曲の全国CMソング起用、さらにはTEDxでのプレゼンター選出と、彼の言葉と音楽は、より広く、深く、社会へと浸透していく。

2018年、彼は名を「ユウゴ」から「悠吾」へと改める。それは、旧京都会館であるロームシアター京都での大規模なコンサート開催と時期を同じくする、意識的なアイデンティティの移行だった。より成熟し、自身のルーツである日本、そして京都の文化に深く根ざした、永続的な芸術家としての決意表明であった。

第二部:設計者としての思想

YUGO story
黎明期の哲学:「新旬ロック」とコミュニティの強化

「新旬ロック」(2009年〜)は、彼の企画者としての哲学の第一段階を示す。その目的は、京都の「旬」の才能を地元の聴衆に提示し、ミュージシャンたちのコミュニティを内側から強化することにあった。これは、シーンの内部に深く精通していなければ不可能な、キュレーターとしての視点であり、彼の活動が常に自身の所属するコミュニティへの貢献と共にあることを示している。

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戦略的飛躍:「KYOTO UTA FESS」と文化のブランド化

2016年に始まった「KYOTO UTA FESS」で、彼の思想は新たな段階へ進化する。「京都の唄文化を観光資源にする」という明確なビジョンのもと、レジェンドと若手を同じステージに並べ、世代を超えた京都音楽の系譜を提示。シーンの内部強化に留まらず、シーンそのものをブランド化し、外部へ発信しようという大きな戦略的飛躍であった。彼はもはや単にショーを上演するのではなく、より広い聴衆に向けて「京都の音楽」の物語を語り始めたのだ。

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エコシステムの構築:京都の音楽シーンの未来図

彼の活動は、単一のフェスに留まらない。芸術性の高いホールコンサート「桜舞うインクラインコンサート」、京都駅での無料イベント「京都周遊アコースティックフェス」、そして次世代を育てる音楽学校の講師活動。これら多層的なアプローチは、彼が単にイベントを創出しているのではなく、多様で回復力のある「音楽エコシステム(生態系)」そのものを京都に設計していることを示している。無料イベントは新しいファンへの入口となり、ライブハウスはコミュニティの結束を維持し、ホールは芸術性を高め、フェスはシーン全体を祝う。そして教育は、その生態系に新たな才能を供給し続ける。これは、健全なシーンが複数の相互接続されたプラットフォームを必要とすることを深く理解した、一人の設計者の仕事である。

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地域貢献:KYOTO MIC PROJECT

2025年4月、京都駅ビル開発株式会社と共に立ち上げた音楽文化発信プロジェクト、KYOTO MIC PROJECTこそ今現在の小倉悠吾を象徴する取り組みと言える。小倉悠吾は音楽のある街京都を具現化し、職業ミュージシャンを社会全体で支える仕組みを作りながら、新たな若手音楽家の育成にも取り組んでいる。具体的には京都駅ビル駅前広場での公認ストリートライブを定期開催。日本国内で最も恵まれた環境での公認ストリートライブを作ったのが小倉悠吾であることは、後に語り継がれるだろう。また定期的にオーディションを開催し新たなアーティストにも発表の場を作っている。
この一連の音楽文化発信プロジェクトから、京都に新たな音楽シーンが根付き、それを人々はこう呼ぶようになる。

「KYOTO POP MUSIC CULTURE」
(キョウト・ポップミュージックカルチャー)

「KYOTO POP MUSIC CULTURE」の生みの親が小倉悠吾であり、それを支えている小倉悠吾後援会は、小倉悠吾を通して、京都の音楽文化に貢献する団体となる。

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